吉田修一の作品「悪人」。
「パークライフ」に続いて、吉田修一の作品を読むのは2作目。
知人の勧めで、読んでみました。
今日読み終わったばかりなので、
冷めないうちに、鉄を打ってみた。
文庫本で上下巻で構成された「悪人」は、
最後の最後まで、読み終わった瞬間ほどの評価はなかった。
ただ、最後の2段落で、この本に対する評価は一変した。
僕は、この本を読んでいてずっと不快な気分だった。
とは言っても、それなり読破して行くだけの面白さはある。
でも、期待するほど、高くない。
どんどん本の残りページが少なくなってくる。
僕は焦る。
期待の分だけ、焦りも大きくなる。
本を読むことで不快な気分になるのは、
面白くなかったからじゃない。
本自体は面白い。
でも僕を不快にさせていたのは本ではなく
そこに登場する人物だった。
もっとちゃんと言うなら、登場する人物、全員がキライだった。
読み終わって、僕は思う。
正解なんてないのかも知れないけど、
思うに、
「悪人」はこの本全員に対して意味しているのかも知れない。
もっと言うなら、この本を読んでいる人、読んでいない人
すべての人が
「悪人」であることが言いたいのかも。
「すべての人は悪人であり、善人である」
雑記したので、文章になっているかはともかく、
感想を残してみた。
「パークライフ」の終わりにも書いたけど、
僕が「パークライフ」を読み終えた時に感じた予感は正しかったんだなと思う。
「パークライフ」を駄作という人も多いと思う。
でも、僕は少し、感じたんだ。
これはいい本だって。
というか、吉田修一という人は気づいているんだって。
善人と悪人は人である以上、同居していることを。